開 放 の 意 味


行政機関の記者会見の開放は少しずつ広まっている。開放をすでに発表していた検察の会見も実現した。


記者会見の開放、記者クラブの問題はこの数ヶ月で急速な広がりを見せた。当方が単なる庶民として記者クラブの問題に関心をもったのはかなり古いけれど、政権交代直後、この問題を書いたとき、コメントをしてくださった方があった。当ブログ唯一の他人の文章。


折角だから、留め置いてあるんだけれど、まあ、現在であれば、この方も同じことはおっしゃらないだろうと思う。それほどにこの問題は広く深いことがどんどん浸透している。もちろん官房機密費の問題も直接関わってくる。今さら、コメントを返すのはルール違反かもしれないけど、まあ、スルーしていたのもひとつの対応ではあったわけだ。


昨日あたりから調子に乗ってぐだぐだ書きまくっている。別に個人的に何があったわけではないけど。


二つ、興味深いニュース。メモだけ。


保険などでの障害等級に男女の差があり、顔に傷を負わされた男性が保証評価に不満を述べ、男女差別として訴えていた。少し前にラジオのニュースで聞いていた。裁判は差別と認定していたが、国は控訴しないと発表。


簡単に言えば、逆差別の問題なんだけど、これが興味深いと思うのは、日本に近代法が入って以来、日本人の価値観はすでに大きく変わってきているのは明らかだが、法律は変えない限り変わらない、ということがこの先、加速的に明らかにされていくのではないかと思ったから。


情報の氾濫は以前から言われているけれども、twitterの普及は情報の流通速度を格段に上げたことはあまり一般には指摘されていない。それが実質的にどういう変化をもたらすかはまだわからないけど、「常識」という概念で語られることの範囲が広がる可能性があるのではないかと思う。


twitterを始めてから感じていたことだけど、実際に文章にしてみると、思わぬ文章が出てくるものだな。「文章を書くという作業は、書くつもりでなかったことを書いてしまう作業」と喝破したのは誰だったか)


もうひとつは、裁判員裁判で無罪判決が出たという話。


裁判の内容は重要ではない。刑事裁判というものはほぼ99.9%有罪になるという。「有罪にできないものは起訴しないから」という言い方もできるかもしれないが、ことはそれほど単純ではないらしい。


つい先日、「それでもぼくはやってない」という映画を見た。まあ、有名な映画だ。周防監督の。この映画にクレームをつける司法関係者、検察関係者がいないという事実はどう考えたらいい。寃罪の構造、「起訴=有罪」という意識と一般への刷り込み、代用監獄の問題……すべて事実ということだろう。


裁判員制度がこの状態に風穴をあけることが期待されているともいえるが、本来、そういうことではない。こうした構造が知られているのに直せないのは行政の怠慢でしかない。


明治以来の制度の大転換の兆しを見つけておきたいということでしかないんですがね。この二つのニュースを記しておくということの意味は。